木造慈恵大師坐像

2021年4月21日 更新

木造慈恵大師坐像

種別

東京都指定有形文化財(彫刻)

指定年月日

令和2年3月16日

制作年代

鎌倉時代後期から南北朝時代

概要

深大寺の「厄除け元三大師」として知られる本像は、比叡山延暦寺第18代天台座主(てんだいざす)の慈恵大師良源(じえだいしりょうげん)の坐像で、深大寺元三大師堂の本尊として内陣仏壇上厨子(ずし)内に安置されています。

良源は平安時代、延喜12年(912)、近江国浅井郡(現在の滋賀県長浜市)に生まれました。12歳で比叡山に登り、17歳で出家すると、55歳の若さで天台座主となりました。良源は、大火で焼失し、荒廃していた比叡山の堂塔を再興するとともに、教学の振興や規律の制定、山内の綱紀粛正に努めたことから、比叡山中興の祖とされます。永観3年(985)に74歳で亡くなると慈恵(慈慧)と諡(おくりな)されますが、命日の正月三日に因んで元三大師とも呼ばれるようになりました。

良源は、その雄毅な容貌や超人的な業績から、観音菩薩や不動明王、竜王などの化身と信じられ、平安時代後期頃から悪魔を調伏する力があるとの信仰が広まりました。絵画や彫像、木版画などに表された良源の肖像は、祈祷など宗教儀礼の場で頻繁に用いられ、さらには角を生やした鬼形の姿で描かれた「角大師」や、33の僧形像を一枚の紙に描いた「豆(摩滅)大師」など降魔の護符として広く信仰されました。
鎌倉時代中期から南北朝時代になると、降魔や調伏などを祈願し、等身大の慈恵大師像が数多く造られました。現在数十体が確認されていますが、このうち制作年代の分かるものの多くは文永から弘安(1264-1288)に集中していることから、元寇の際に異敵調伏のため造立された可能性が考えられます。

これら慈恵大師像は一般的な高僧像とは異なり、魁偉な相貌で表されることが多いのですが、深大寺の慈恵大師像は像高196.8センチと他に類を見ない巨大なもので、高僧の肖像彫刻としても最大級のものです。深大寺は古くから鎮護国家の道場であったことから、何らかの国家的祈願のために造られたと考えられます。
悪魔調伏の力を持つとされる慈恵大師に相応しく、頬骨の張った輪郭、大ぶりな目鼻や耳朶(じだ)、厚い唇など起伏の激しい魁偉な面貌ですが、額や目の周り、口元などは精緻な彫りで写実的に表現されています。

江戸時代以降、「厄除け元三大師」として広く信仰を集め、明和2年(1765)7月と文化13年(1816)6月に、両国の回向院(えこういん)で出開帳を行ったとの記録があります。現在の大師堂は、慶応元年(1865)の大火の後、慶応3年(1866)に再建されたものですが、大火後の復興では本堂より先に大師堂が再建されており、元三大師信仰の篤さが窺えます。現在は、秘仏のため50年に1度開帳されますが、平成21年(2009)に良源滅後1025年を記念して、中開帳が行われました。

本像の詳しい製作年代は明らかではありませんが、その像容から鎌倉時代に遡るものと推測されます。慈恵大師の魁偉な相貌を巧みに捉えた優品で、高僧の肖像彫刻の中でも最大級のものとして日本彫刻史上に重要な意義を持つ作例であり、また関東における元三大師信仰の歴史と文化を示すうえでも貴重な文化財であるとして、東京都指定文化財に指定されました。

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教育委員会教育部 郷土博物館
電話番号:042-481-7656
ファクス番号:042-481-7655
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