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トップページ > 観光・文化・スポーツ > 歴史・文化財 > 文化財 > 都指定 文化財 > 調布市上石原遺跡第15地点出土 二彩多口瓶(にさいたこうへい)

ページ番号:2412

掲載開始日:2021年10月1日更新日:2021年10月1日

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調布市上石原遺跡第15地点出土 二彩多口瓶(にさいたこうへい)

上石原遺跡出土二彩多口瓶

種別

東京都指定有形文化財(考古資料)

指定年月日

平成19年(2007年)3月15日

員数

2点 附 須恵器坏・皿5点、灰釉陶器埦1点

所在地

調布市小島町3-26-2 調布市郷土博物館

制作年代

9世紀初期

概要

上石原遺跡から出土した多口瓶は、奈良三彩と呼ばれる陶器です。

奈良三彩は、中国の唐三彩の影響を受け、奈良時代から平安時代初期に国内で作られた陶器で、単彩・二彩・三彩のものを含めた総称です。器種は主に大・小の壺、瓶などで、都城・官衙における国家儀礼や寺院などでの仏事法要で使われたほか、貴族や高官などが用いる奢侈品(しゃしひん)であったと考えられます。

この二彩多口瓶は、平成4年(1992年)に調布市立第三小学校の校庭整備工事に伴い行われた、第15地点の発掘調査で出土しました。長頸瓶(ちょうけいへい)の肩に、若干小さめの4つの口(子口)が付いており、当時官営工房であった京都市の栗栖野瓦窯(くるすのがよう)で9世紀初期に作られたものです。

2点とも被熱のため変色していますが、もともとは緑釉と白釉が施されていました。器面の剥離や子口などの欠損が見られますが、ほぼ完形に近い状態に復元できました。

出土状況から、すり鉢状の落ち込みの中で、須恵器や灰釉陶器とともに燃やされ、遺棄されたことが分かりました。多口瓶を廃棄する際に、高熱の火を使った祭祀行為が行われたものと推測されます。遺棄された時期は、須恵器や灰釉陶器から10世紀初期と考えられます。

奈良三彩の多口瓶は、出土例が少なく、その大半は、当時政治・経済・文化の中心地であった奈良県や京都府から出土しています。上石原遺跡から出土した二彩多口瓶は、東国の集落遺跡から出土した唯一の例で、貴重な資料です。

また、生産場所や、生産時期・廃絶時期が明確に限定でき、平安時代前期の奈良三彩の生産・流通・廃棄の過程が見て取れるほか、中央と同様の仏教儀礼が東国でも行われていたことが推測されるという点においても、非常に貴重な資料です。

現在、二彩多口瓶は、複製品とともに、調布市郷土博物館で常設展示しています。

外部リンク

東京都文化財情報データベース(外部リンク)

このページに関するお問い合わせ

調布市教育委員会教育部郷土博物館 

電話番号:042-481-7656

ファックス番号:042-481-7655