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ページ番号:3529

掲載開始日:2023年3月5日更新日:2023年3月5日

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令和4年度 市長コラム「手をつなぐ樹」(第402号から第417号)

長友市長の写真

コラム一覧

第417号 忘れ得ぬ師の恩情

過日、再開した高校の同窓会に出席した。私は故あって高校は2校に通ったが、今回の対象は最初の大阪の学校で、入学したのは55年前のことになる。半世紀以上前の記憶はかなり断片的なもので覚束なく、加えて中退後に交遊を継続した友人も皆無となれば、在京同窓会の存在を4年前に初めて知ったものの、当初は当然ながら参加することをかなり躊躇した。敷居はかなり高かったと言わざるを得ない。
しかし、それにも拘わらず、そのとき思い切って申し込んだのは、インターネットで垣間見た過去の同窓会の情景に在校時の担任の先生のお姿を確認し、お元気なうちにお会いしたいと強く思ったからだ。
故あってと書いたが、高校2年生の1月という極めて中途半端な時期に退学するには、もちろん学業を含めて行き詰ったそれなりの事情が存在した。だが、転校を決意したものの、実は退学届を提出した時点では、上京後に編入させてもらう学校はまだ決まっていなかった。退学届けを持参した母を前に、先生は何度も私の身の上を案じて下さったそうだ。その心に沁みる恩情に対して、何としても一度直接お会いしてお礼を申し上げたい。ずっとそう思い続けてきた。それが4年前に同窓会に初出席した動機であり、先生に感謝の念をお伝えすることができて、やっと長年の胸のつかえがおりた気がした。
今年は先生にはお会いできなかったが、このようなはぐれ者を会は今回も温かく迎えて下さった。多くの人に支えられて生きている。そのことをまた実感した有難いひとときだった。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和5年3月5日号掲載)

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第416号 渇望のゴール

1月29日の日曜日。空が透き徹るような快晴の下、最高気温8度とまずまずのランニング日和に恵まれたことは大変幸運だったと言えよう。
当日は早朝より、第67回市民駅伝競走大会の出場選手および応援に駆けつけた関係者が、3年ぶりの号砲を待ちかねるかのように、飛田給駅から味の素スタジアムにまで列を連ねた。参加チーム数は248(内、完走230)。老若男女1000人以上ものランナーが柔らかな日差しのもと、それぞれの自己目標に向かって懸命に疾走した。味スタ内のコースを使用できたのは実に5年ぶりとなる(註)。
悲願の優勝を目指して、あるいは親しい友達同士の思い出づくりに、など走る動機はさまざまだったようだが、あたかもコロナ禍を耐え忍ばざるを得なかった積年の鬱憤を晴らすがごとく、全ランナーが全身を躍動させ高揚感に浸りきってゴールするように私には感じられた。皆さん本当にこのような瞬間を渇望しておられたのだ。
日常生活とは通常、言ってみれば何の変哲もない単調な行為の繰り返しに過ぎない。しかし、ひとたび平和や健康などの面で生活が暗転したとき、堅実な日常を脅かされることのない平穏な日々が本来どれほど有難いものだったか、今更ながらに我々は痛切に思い知る。
そのことの尊さを再認識し、なんとしても今年は明るい展望を確実なものにしていきたいと思う。そのためにも、感染症対策には今後とも万全を期しながら、「意識の上の『脱コロナ』」を提唱していきたい。

調布市長 長友貴樹

(註)2019年、2020年大会は、ラグビーW杯および東京2020大会の準備により、会場をアミノバイタルフィールドに変更して開催。

(市報ちょうふ 令和5年2月20日号掲載)

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第415号 休刊に思う

先日、週刊朝日の本年5月末での休刊の報に接し、思わずため息が漏れた。
振り返れば約半世紀前の大学生時代に、毎週発売を待ちかねるように同誌を読みふけったことを思い出す。当時のお目当ての一つは、城山三郎の連載小説「通産官僚たちの夏」(註)。伝説の異色官僚、佐橋滋氏をモデルとする主人公を中心に展開される、高度経済成長に向かう日本の産業政策をどう形づくるかについての、まるで切っ先を戦わせるような迫力ある議論の応酬、および国家の命運を握る人々の人間の業とでもいうべき強烈な生きざまの描写に、陶酔するように引き込まれたことを記憶する。ただ、後年その通商産業省(現経済産業省)の外郭団体に勤務することになろうとは当時、夢想だにしなかったが。
これで、三大全国紙の名称をそのまま冠した週刊誌は一誌を残すのみとなってしまう。強い娯楽性とは一線を画す、オピニオン発信的な新聞社系の媒体がもはや現代にそぐわないとすれば、それは一体何を意味するのだろう。小説類以外の誌面内容も思い起こしながら、今回の休刊決定が、さまざまな社会問題に関する、日本人の認識レベルの低下や思考の短絡化などの悪しき傾向だけに起因するものでなければよいがと思うばかりだ。
インターネットによる情報収集を採用しても一向に構わないが、より良い社会をつくるために、問題の本質を捉えた上で展開される、じっくりと腰を据えた骨太の議論の必要性を今後とも多くの人たちと確認し合っていきたい。

調布市長 長友貴樹

(註)1974年に週刊朝日で、「通産官僚たちの夏」のタイトルで連載されたのち、翌1975年に「官僚たちの夏」と改題されて新潮社により単行本化。週刊朝日ではそれ以外に、司馬遼太郎の「街道をゆく」なども、四半世紀(1971年から96年)の長期にわたる連載紀行文集として評価が高い。

(市報ちょうふ 令和5年2月5日号掲載)

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第414号 悩ましきふるさと納税

昨年末に、ふるさと納税に関する私の発言が新聞に掲載され、複数の方からその意見について質問を受けたので、真意を説明させて頂きます。
発言したのはその4か月前、8月の定例記者会見の場でした。要旨は以下の通り。
「私は、郷里など自分に関わりのあった自治体の発展を願って寄付をするという本制度の趣旨および送金者の純粋な思いは十分に理解している。そして、それが思惑通り正常に機能しているのなら、たとえ本来、市の歳入となるはずの原資が減少したとしても異を唱えるつもりはない。送金を受けた自治体の返礼についても手ぬぐい1本すらおかしいとまでは言わない。しかし、現状では多くの場合、自分とは無縁のまちが提供する単なる贈答品通販への応募にすぎないのが実態ではないか。しかも、自治体が事業実施のために費やす経費は寄付額の5割近くに達している。つまり、公共サービスの予算に充当されるはずの税金額の半分近くがふるさと納税事業のための商品調達費や事務費、そして事業PRのためのサービス紹介企業への手数料に消えている(註1)。由々しき事態と言わざるを得ない。ただ残念ながら、年間10億円を超える税収減という現実を前に、わが市としても『武士は食わねど高楊枝』とやせ我慢を続けていくことが難しくなってきた」。
すでに、調布市をよりよく知って頂くことを念頭にいくつかの返礼(註2)を用意しましたが、制度の抜本的見直しの必要性は今後とも残ると考えています。

調布市長 長友貴樹

(註1)朝日新聞が分析した総務省のデータによると、21年度のふるさと納税寄付総額は過去最高の8302億円。そのうち、各自治体が事業実施のために計上した経費総額は46.4%の3851億円。
(註2)市内事業者から提供いただいた商品・サービスをはじめ、京王電鉄による限定イベントやFC東京グッズ、鬼太郎茶屋での飲食チケットなどを返礼として用意

(市報ちょうふ 令和5年1月20日号掲載)

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第413号 市をあげての快哉

多くの国民の心に長く残り続けるであろう余韻を残して、FIFAワールドカップカタール2022における日本チームの戦いは終わった。
その試合内容に対する論評はともかく、国際ランキングで日本より上位の複数の国に勝利して勇躍決勝トーナメントに進出した日本チームの快進撃に勇気づけられ快哉を叫んだ方が、サッカーファンのみならず数多くおられたことは疑いない。コロナ禍に起因してともすると閉塞感に覆われがちな世相に、一筋ならぬ光明が差し込んだことを実感できる至福の時だった。
加えて調布市にとっては、代表チームにわがまち所縁(ゆかり)の選手が2人含まれており、それが我々を一層熱い応援に駆り立てる大きな要因になっていた。一人は長友佑都選手。これまで、長年にわたり、われらがFC東京を通じて調布市のスポーツ振興等に多大な貢献を果たして頂いてきた。もう一人は相馬勇紀選手。生粋の調布っ子で、幼少時からの彼の活躍をわが子の成長を喜ぶがごとく温かく見守り、応援し続けてこられた調布市民は大変多くおいでになる。今大会における2選手の奮闘に改めて心からの称賛および感謝の言葉を送らせて頂きたい。

W杯でひとときの安らぎを得たとはいえ、今年も多くのご家庭にとっては多事多難な1年ではなかったかと拝察申し上げます。来たる年こそ、全市民に真の平安と幸福が訪れますことを衷心よりご祈念申し上げます。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和4年12月20日号掲載)

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第412号 水木ワールド、永遠に

今秋、久し振りに水木しげるさんの故郷、鳥取県境港市を訪れる機会を得た。
まず、米子駅から境港駅までのJR境線では、列車の車内外および沿線駅に鬼太郎ワールドの各キャラクターのイラストが描かれており、それを眺めるだけで実に心楽しい。マニアにとっては必見だろう。そして、境港駅に到着すれば、駅から続く水木しげるロードの177体にも及ぶ妖怪ブロンズ像に圧倒される。本当に何回見ても飽きることがない。さらに、同ロードを駅から800メートル進んだところには2階建ての水木しげる記念館がファンを待ち受ける。記念館は、現在リニューアル計画が進行中とのこと。
かたや、わが市においても、毎年水木さんの業績、遺徳を偲ばせて頂いているが、今年は特に11月19日からご命日の30日まで、生誕100周年記念事業と銘打って盛り沢山のイベントを実施した。大変嬉しいことに予想を上回る多くの方に参加頂き、水木さんが生涯かけて訴えられた人間愛や恒久平和への心に沁みるメッセージが年代を越えて広く受け入れられていることを改めて実感した次第だ。
この間、境港および調布で伊達憲太郎境港市長に2度お会いし、二人でしみじみと述懐した。
「100年前に生を受けた男の子が幼少期から天才的に絵が上手で、育った郷里の境港(註)に終生変わらぬ深い愛情を注ぎ、後半生は調布に居を構えられた。その幸運は両市にとって計り知れませんね」。

調布市長 長友貴樹

(註)水木しげるさんの出生地は、当時の父親の仕事の関係で大阪府大阪市住吉区(大正11(1922)年3月8日生まれ)。

(市報ちょうふ 令和4年12月5日号掲載)

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第411号 遠い昔は悟りの境地か

高校の漢文の授業時、四書の一つである論語を取り上げた折に先生がこう言われた。三十にして立つ。四十にして惑わず。と続き、七十の解説になった時、「従心。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。つまり孔子は、『七十歳の時に、自分がしたいと思う言動をそのまま行為に表しても、人の道を踏み外すことがなくなった』と悟りを開いたようなことを言ったんだが、ちょっと異論があるな」。そして、ほんの少し間をおいて、「そもそも七十にもなったら、そんなことは孔子でなくとも当たり前だろう」。そこでクラス一同大爆笑。
厚生労働省によると、2021年の日本人の平均寿命は、女性が88歳(四捨五入、以下同様)、男性が81歳。したがって70歳はまだまだ先のある通過点と言える。しかし、以前は大きく事情が異なり、たとえば調布市が誕生した昭和30(1955)年では、女性68歳、男性64歳で、70歳は長寿の一つの目安だった。
実はあと数日で私は、遠い昔には古来稀なりと言われた人生の節目に到達するのだが、実感はあまりない。来し方を振り返り、自分自身ではさまざまなことにそれなりに懸命に取り組んできたつもりではあるが、必ずしも首尾よく成就したことばかりではなく、道を踏み外すことはないにしても、現時点で孔子のように自らの達観した思いを披歴する気にはまだならない。
それでも七十になれば、眼前に広がる人生の景色が何らかの変化を見せるのだろうか。はてさて。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和4年11月20日号掲載)

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第410号 それぞれの思い

10月19日、20日に広島市で開催された第10回平和首長会議総会に出席した。
同会議は、1982年6月に当時の荒木広島市長が、第2回国連軍縮特別総会において、世界中の都市に、国境を超えて連帯し、ともに核兵器廃絶への道を切り開こうと呼びかけたことにより設立された超党派の国際NGOであり、本年40周年を迎えた。現在、世界166カ国・地域の8213都市が加盟している(註)。
総会初日には、広島の被爆体験者による証言および広島の子どもたちによる平和創作劇の上演のあと、参加した各国代表が加盟都市の役割について意見を述べた。また、二日目には、元国連事務次長による記念講演に続いて、日本とポルトガルにおける青少年による平和活動の紹介があった。
いずれのメッセージも世界平和を誠実に希求する心に残る内容であり、改めてこのような会議で平和の尊さを確認する意義を感じるとともに、平和を継続することの難しさについても考えさせられた。
二日間、会議は円滑に進行したのだが、最後にちょっとしたハプニングがあった。それは、最終宣言採択の場面で参加者の一人から、アピールの内容にウクライナ紛争に関する主張を盛り込むべきではないかという問題提起があったのだ。主催者は、その発言の思いを受け止めながらもアピールに明文化することはやんわりと否定した。両者の心情はそれぞれ理解できるが、ことほど左様に、平和を議論することはときに簡単ではない。

調布市長 長友貴樹

(註)調布市は、2010(平成22)年8月1日に加盟。

(市報ちょうふ 令和4年11月5日号掲載)

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第409号 一度しかない人生のために

いきなり突飛なことを言うようだが、私は仕事を効率よく進めるためのこの上ない改善策を思いつくのは、あまりに仕事量が多すぎてにっちもさっちもいかない状況に追い込まれた時だと常々思っている。
いわば一種の極限状態の中で、どうにかして事態を打開したいと藁にもすがる思いで全力でもがくからこそ、時に普段考えつかないような効率化に向けた素晴らしい発想が突如生まれてくるのだろう。
しかし、そのあとどうなるかというと、多くの場合はあまり建設的な方向には進んでいかない。極めて繁忙度の高い嵐のような日々が過ぎ去ってやれやれと一息つく頃に、塗炭の苦しみの中で思いついた効率化策を実際に導入すべく迅速に行動すればよいのだが、なかなかそうはまいらない。人間、そう理想的に勤勉さを保ち続けられないし、それは、ある程度やむを得ない。
また、日本において働き方改革が叫ばれて久しいが、組織における効率化を一個人のアイデアに依存するだけではらちが明かないことは明白である。
統計によれば、短時間労働者を除いた日本人の労働時間は国際比較では極めて長く、有給休暇取得率は世界最低とも言われる。企業における年間何回かの繁忙期の存在。国や自治体における予算編成時期の多忙さ。実情はよく理解できる。しかし、それらの事情はいわば万国共通であり、日本にだけ長時間労働が存在する理由にはなり得ない。
国を挙げて何としても改革しなければならない。全国民がゆとりある人生を送るために。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和4年10月20日号掲載)

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第408号 子ども医療費を完全無償化

やっとここまで来ることができたかとの思いを強く抱くとともに、今日に至るまでのさまざまな議論を思い起こしている。
9月議会で、高校生世代を対象にした医療費助成開始に関する議案を提出し、議会に承認頂いた。
その内容は、医療費助成の範囲を高校生等(註1)まで拡大し、所得制限を設けず一部負担金(註2)も課さないというものだ。それと同時に、中学生を対象とした医療費助成について、これまで設けていた所得制限を撤廃するとともに、義務教育就学児を対象とした医療費助成について、一部世帯に課してきた一部負担金を撤廃することも決定した。いずれも実施は来年4月となる(註3)。
どのご家庭においても家族の健康管理は最優先課題の一つであり、そのために必要な医療費は家計上不可欠の出費と言える。それだけに、調布市としても子どもを対象とした医療費助成制度発足(註4)以来、完全無償化に向けて東京都の制度に上乗せする形で、徐々に助成内容の充実を図ってきた。その間、議会からは無償化への歩みを早める旨の強い要請を受け続けてきたが、財政的に一気に施策を推進することが叶わず、30年近い期間、もどかしさを解消することができなかった。
今回の制度改正により医療費の無償化は達成できたが、お子さん達の健やかな成長を見守るために、継続して子育て施策の一層の充実を図っていきたい。

調布市長 長友貴樹

(註1)非就学者を含む、高校1年生から3年生に相当する年齢の方。 (註2)都制度では、通院1回当たり200円の負担額を定めていた。 (註3)東京都26市中、完全無償化については、すでに開始した武蔵野市以外に、府中市とあきるの市の2市が調布市同様に来年度から実施予定。 (註4)平成6年1月に乳幼児医療費、平成19年10月に義務教育就学児医療費の助成制度開始。

(市報ちょうふ 令和4年10月5日号掲載)

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第407号 平和への道は険しくとも

1989年は、世界史上において今後も末長く、人々の記憶に残り続ける年だろう。
6月の天安門事件と11月のベルリンの壁崩壊については、誰もがいまだに鮮烈な記憶を持ち続けておられると思う。だが、それに匹敵するもう一つの国際案件についてはどうだろうか。
それは、12月の米ソ両首脳による地中海のマルタ島での、「第2次大戦後における東西冷戦終結の宣言」だ。主役は、アメリカ合衆国のブッシュ大統領(父)とソ連共産党のゴルバチョフ書記長。東西両陣営のトップが歴史的和解で合意したときの鳥肌が立つような感激を思い起こす。そして、その合意にもかかわらずウクライナを含め依然として絶えない国際紛争の継続に、平和の持続の困難さを改めて思い知る。
ゴルバチョフ氏は、ペレストロイカを主唱することにより自国の民主化を大胆に推進するとともに、西側陣営との融和、協調路線に大きく舵を切った。私は、たとえソビエト連邦が当時実質的に経済破綻の状態にあり体制転換が不可避であったとしても、それだけではない健全な国際関係構築への熱情が彼を衝(つ)き動かしたと思っている。
ゴルバチョフ氏の、また70年もの長期間にわたり、英連邦のみならず世界中に平和のメッセージを送り続けたエリザベス女王の訃報に接し、お二人の功績を振り返りながら、平和の尊さを噛みしめている。
今後とも市として平和祈念事業に堅実に取り組んでいきたい。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和4年9月20日号掲載)

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第406号 ついにわが身に

これまでの人生を振り返るとき、今更ながらに、良好な健康状態に恵まれた有難い日常生活だったと痛感している。
大学卒業後に26年間勤めた前の職場では、病欠したことも当然あったはずだがその記憶はほとんどない。また、市長就任後の20年間においても、週末を含めて体調不良で予定をキャンセルしたことは僅か1、2回のはずだ。おそらくは、ともに90代半ばまで生き、他界する最晩年まで比較的健康に過ごした両親の遺伝子の恩恵なのだろう。
しかし、このたびはそうもいかなかった。これまで、たとえ微熱であっても念のためにPCR検査を受けてきた。そのたびに陰性との結果で安堵してきたのだが、今回は就寝中に喉の痛みがかなりひどくなり、やられたかなと思ったら案の定だった。おまけに家人にもうつってしまい、一家全員がしかるべき対応を強いられた。
私は、発症後2、3日間は喉と気管支の異常に悩まされたものの熱は38度未満で、とりあえずは軽症の部類だったと思う。だが当然ながら、ルールに従って自宅療養に徹し、10日間は一歩も家を出ることなく過ごした。
それでも、その単調で誠に味気ない生活環境に特段大きなストレスを感じることはなかった。自分でも意外なほど。そのことに関しては、若い頃ならどうだっただろうなあ、と苦笑を禁じ得ない。
お見舞いの言葉を頂き有難うございました。皆様もどうかお気を付け下さい。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和4年9月5日号掲載)

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第405号 夏を迎えて

今年の雨期は典型的な空梅雨でした。そして6月中の梅雨明け後には、いきなり最高気温が35度にも達する猛暑が続くこととなり、身体を順応させることに苦労された方も多かったことでしょう。
その間、新型コロナウイルスの新規感染者数は漸減傾向にあり全国的に安堵感が広がりつつありましたが、それもつかの間、6月後半から再び増加に転じ、本稿執筆時には東京都で1日あたり1万人以上に達しています。
夏休みも近いというのに、子どもたちも本当にかわいそうです。なんとか熱中症に気をつけた上で、活発に行動できる機会を数多く与えてあげたいと心から願うのですが。
また、今夏のみの問題ではなく、このような異常事態がもし3年間以上に及ぶとすれば、たとえば入学式から卒業式に至るまで中学や高校における学園生活全体がコロナ蔓延期間に重なる生徒が存在するわけで、とても不運の一言では済まされないと感じています。
最後にワクチン接種に関してですが、若い世代の方には3回目の接種を是非お願いします。また、すでに5月末から開始されている4回目接種において、高齢者(註1)の集団接種会場における出足が3回目までと比較して鈍くなっています。その一因が、この暑さの中での単身の外出の困難さにあるとすれば、可能なご家庭におかれては、付き添いをご検討頂ければ幸いです。よろしくお願いします(註2・3)。

調布市長 長友貴樹

(註1)ワクチン接種に関して、対象となる高齢者の年齢は3回目接種までは65歳以上でしたが、4回目では60歳以上となります。
(註2)集団接種会場では、8月2日(火曜日)以降、ファイザーもしくはモデルナワクチンの選択が可能になる予定です。(註3)新型コロナワクチンについては3面参照。

(市報ちょうふ 令和4年7月20日号掲載)

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第404号 4回目の接種に向けて

新型コロナウイルスにより引き起こされた世界中の大騒乱状態については、中国中部地方湖北省の省都武漢市において2019年12月に最初の発症者が確認されて以来、やがて2年半の歳月が経過しようとしています。
その間に世界中の感染者数はすでに5億人を超えているとされ、世界全体の人口が約80億人なので10数人に一人の割合で陽性者が発生したことになります。
もちろん不運にも感染された方は、健康面に留まらず日常生活における多大なる支障を体験されたわけで誠にお気の毒でした。しかし、それ以外のすべての人々も家庭や学校、職場等における日々の営みの中でさまざまな制約を課され、多くの困難に直面されてきました。
そして残念ながら今後もまだ、はっきりとした効力が保証される薬が開発されるまでは、新たな変異株の発生に対する対応を含めて依然油断できない状況が続いていくこととなります。
そのような中、現在4回目のワクチン接種が始まろうとしています。4回目の接種対象者は高齢者と基礎疾患を有する方に絞られるようで、3回目接種後の間隔は5カ月になりそうです。今後、詳細が示され次第わかりやすくご説明しますので、これまで同様に速やかに対応頂きますようお願いいたします。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和4年5月5日号掲載)

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第403号 あの時代の感激

路線バスの隣の停留所からの下り坂の勾配が、子ども心には極めて急に感じられたものだ。その坂を下り終わったところが、一家5人の新たな生活の場となる100棟以上を有する大きな団地の入口だった。
ときは昭和33(1958)年4月。父の転勤により広島市から大阪府豊中市に移り住み、幸運にも当選した建設間もない2DKの公団住宅に入居することになったのだ。私は6歳の年で幼稚園児だったが、新たな住まいに足を踏み入れた時のカルチャーショックともいうべき驚きをいまだに覚えている。
一つは水洗トイレだ。まだ汲み取り式の便所しかなかった頃の日本で、初めて間近に見る文明の利器(?)に興奮のあまり、用もないのに何回も水を流して親に怒られた。もう一つは自家風呂。まだまだお風呂屋さんが全盛の時代で、居ながらにして入浴できることは一つの感動だった。お風呂屋さんの楽しみだったコーヒー牛乳は飲めなくなってしまったが。
その頃、今からは想像できないほどすべてにおいて不便な時代だったからこそ、日常生活が便利になるときの感激は、疑いなく現在より大きなものであったと言えよう。
春4月、毎年のようにはるか昔の転居を思い出す。そして、今年もこの季節多くのご家族が転勤等で移動されるわけで、コロナゆえに発生しているに違いないさまざまなご苦労に深い同情の念を抱かざるを得ない。本当にお疲れ様です。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和4年4月20日号掲載)

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第402号 何としても平和体制の確立を

現在、世界には約200の国が存在するが、大国と称される国は果たして何カ国だろう。少なくともアメリカと中国が、経済及び軍事両面で大国であることは疑いない。ロシアも経済はともかく軍事的には大国だ。それらの大国が当然果たすべき責任とは、本来いかなるものだろうか。
市長になる前の仕事で、日本のODA(政府開発援助)を目的として最貧国を含む多くの発展途上国に赴いた。その際時折、途上国の背後に「大国の影」を感じたものだ。それは、大国が途上国との関係において、安全保障上の後ろ盾になるとともに、その見返りとして経済関係の緊密度を高める構図だったが、正直に言えば、途上国の自立的発展にどこまで真に貢献するものか疑問に思ったこともある。
ウクライナ危機の終焉を切望する時、衆人環視にも拘らず継続される蛮行を阻止できない不条理に直面し、なんともやるせない無力感に苛(さいな)まれる。と同時に、どこでも同様のことが不意に起こり得る、一触即発の世界状況であると改めて認識せざるを得ない。さすれば、小国は常に大国の放縦な思惑のままに蹂躙(じゅうりん)されるしかないのか。その大国の行為が非正義であると国際世論の大半が判断した場合、どうやってそれを正す術(すべ)を持ち得るのか。
言うまでもないが、すべての国が国際的枠組みの中で永続的な平和体制の確立を目指していくしかない。わが国も可能な協力の方途を懸命に模索しなければならない。日本が他国から大国と見なされているかどうかは別にして。

調布市長 長友貴樹

(市報ちょうふ 令和4年4月5日号掲載)

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